簡単日本の塩歴史

日本の塩の歴史
━━━日本の塩の歴史を簡単に教えてください。

【塩竈神社】
国の始めについて書かれている「古事記」に出てくるシオツチノオキナ(塩土老翁)が、製塩の創始者と言われています。全国に点在する塩釜神社は113社あり、シオツチノオキナは宮城県塩釜市にある塩竈神社に祭られています。
実際、古代の人は海水を直接煮詰める方法を取っていたと考えられていますが、「万葉集」には、「藻塩焼く」と記録されており、海藻を天日乾燥させ、何度も海水をかけることにより塩の結晶を作っていたと考えられます。塩竈神社の境外末社・御釜神社では、毎年「藻塩焼神事」により、藻塩を作る一連の工程が3日間かけて再現されています。
奈良時代になると既に「塩浜」と言われる通り、浜を利用した塩つくりが行なわれていたようです。
安土、桃山時代になると瀬戸内海のほか、各地で塩田による製塩が行なわれていました。当時は、「揚げ浜式塩田」といい、海水を浜に撒き、天日で乾燥させることを繰り返して行い、塩の結晶がたくさんついた砂を集め濃い塩水をとることによりし塩を作る方法が取られました。
今でもこの方式で作られている塩が能登半島で見られます。
その後、塩作りの効率をよくするため、土木技術の工夫がなされ、満潮時の海水を石垣等で囲われた塩田に引き込み、門を閉じ、中の海水含んだ砂を天日で完全に乾燥させる方法に進化しました。塩分が付着した砂をかき集める作業は相変わらず重労働でしたが、この砂を「沼井(ぬい)」と言われる場所に集め、海水を注ぎ、濃い塩水(かん水)を取る方法に変わりました。この方法を「入り浜式塩田」と言い、約300年、昭和30年代まで続きました。
特に瀬戸内海沿岸地方では、塩の生産に適した気候と地形であったため、大規模な入り浜式の塩田が多く見られました。
昭和30年代には、「流下式・枝条架塩田法」に変わりました。これは、粘土流下盤といわれる傾斜を付けた流下盤を海水を流し(主には、天日の力で濃縮)、また枝条架に海水を流して濃縮する方法です。
入り浜式塩田時代の過酷な労働から解放され、塩の収穫量も増えました。
このように、海に面する日本では伝統的な塩つくりが行なわれていましたが、昭和46年(1971年)、塩業近代化臨時措置法が発令され、1)民間企業が日本の海水から塩を製造してはならない 2)民間企業が独自に海外から塩を輸入してはならない となりました。つまり、この法律によって、日本の塩田が全廃(伊勢神宮の御塩浜は例外)させられました。
国は塩田の代わりに、「イオン交換膜法」と言う日本独自の「イオン交換膜電気透析法」の原理で、海水中からナトリウムイオンと塩化物イオンなどを集めて濃縮する方法を採用すると同時に、オーストラリア、メキシコの天日塩を大量に輸入することで対応しました。
このイオン交換膜法の塩は、純度の高い塩化ナトリウムを抽出するには優れた方法でした。
しかし、各地で塩田復活の消費者運動が起こりました。塩田の復活は認められませんでしたが、専売公社が輸入する海外の天日塩を原料に、再製加工する塩は認められました。また、伊豆大島では海水から塩の製造が試験的に認められました。また、海外からの天日塩等を、試験的に独自の輸入販売が認められました。それが、弊社㈱白松でした。
この明治38年がら92年間続いた塩専売法も、平成9年(1997年)3月に廃止されました。現在では、国内で海水から自由に塩を作ったり、海外の天日塩、岩塩を自由に輸入販売することができるようになりました。

御塩殿祭(毎年10月5日)

御塩殿神社にて、伊勢神宮の神事に使う堅塩(御塩)をつくる
御塩殿祭では、よい堅塩(御塩)ができるように祈ると同時に、製塩に携わる会社、従業員の安全を祈る

御塩殿神社は、三重県伊勢市双美町荘にある内宮(皇大神宮)所管社であります。神宮(伊勢神宮)では、年間を通じてとりおこなわれる神事に御塩殿神社で作られた「御塩」が使用されています。そのための塩作りが「御塩浜」「御塩焼所」「御塩殿」等で行なわれています。
「御塩浜」は、御塩殿神社の境外である二見町西(五十鈴川河口近く)にあり、1751年からは、今までの揚げ浜式塩田から、入浜式塩田に改良されています。7月下旬の満潮時に、水門を開け、塩分2%ぐらいの汽水を塩田に入れ込みます。天候にもよると思いますが、塩分濃度20%程度のかん水になるまで天日で濃縮します。
このかん水を「御塩汲入所」に運び、8月になると「御塩焼所」にて、鉄釜で薪を使用して煮込み、粗塩を作ります。この粗塩は、「御塩御倉」で保管されます。8月に作られた粗塩は、三角錐の形の土器の型にいれて、「御塩殿」にて焼き固めます。これを「御塩」(堅塩)といい、伊勢神宮の神事(祭事)に使用されます。
「御塩殿祭」は、毎年10月5日に執り行われます。よい「御塩」が取れるようにと願うと同時に、製塩に携わる会社、従業員の安全を祈られます。この日には、全国から多くの塩関係者が集まります。

加 盟

白松では、食用塩公正取引協議会へ参加し、適正な表示が業界全体でできるよう活動しております。

1997年に塩の専売制が廃止されました。塩専売制は92年間にわたって続いた制度で日本の塩の生産と需給関係は専売制の中で育ってきたものでした。専売制廃止は都市部のスーパーなどの小売マーケットの市場環境は大きく変化し、供給も小規模の地場産業としての塩生産者が多数稼働し、世界中からの珍しさを求めた塩商品が輸入されて、高価格商品が数多く販売され、商品数も激増しました。

このような市場の動きに伴い、市場競争は激化し、商品の表示に対しても過激なものが現れることになり、2003年には東京都から消費者意見を集約して商品表示の適正化が求める指導文書が出されました。塩専売制廃止に当たっては、表示や品質規格などについての全く基準がない状態で自由化され、また、それを協議すべき業界の団体もない状態であったことから、業界の有志9社が集まり「家庭用塩表示検討懇談会」を発足し、塩の表示の適正化への活動を開始しました。また東京都には家庭用塩表示検討会が発足して表示の適正化について検討を開始しました。
2004年には公正取引委員会から食塩の表示に関し9社を対象に警告が発せられ、併せて消費者意見の集約結果を整理して「家庭用塩について」の指導勧告を行い、公正競争規約作成に向けた活動を開始するように求めました。消費者意見集約の主要内容は以下の通りです。

・思わせぶりで品質が良いと誤認させる
・過剰に体に良い、味がよいと言っている
・根拠のない自然塩、天然塩の表示で品質が良いと思わせる
・産地名が実際と異なる
・海洋深層水、無意味な無添加表示がある

同年さらに東京都は家庭用塩表示検討会の結論を受けて「食塩の表示に関する業界自主基準策定に向けた指針」を公表して、表示規約制定に向けての活動の推進を図りました。指針の内容の骨子は以下の通りです。
1. 「自然」「天然」の表示は使用しないこと
2. ミネラルによる品質等の優良性を表示しないこと
3. 「最高」「究極」などの最上級を示す表示は客観的根拠がなければ使用しないこと
4. 無意味な無添加表示はしないこと
5. 一括表記枠外に原材料、製法を表記すること

これらの動きを受けて業界有志12社により食用塩公正競争規約作成準備会を発足させ、月1回の会合を重ねて具体案の合意に向けて協議が続けられました。2006年4月には業界全体に呼びかけて、76社の会員が参加する食用塩公正取引協議会準備会を発足させ、関係省庁とも協議を重ね、また消費者団体意見を求めて食用塩公正競争規約の成案を作成する活動をすすめ、2008年2月公正取引委員会主催の公聴会を開催し、同年4月に官報告示となりました。食用塩公正取引協議会は官報告示を受けて5月21日設立総会を開催して実質的活動を開始し、入会受け付け、商品表示の審査の受付を開始しました。会員数は、2014年4月現在で188社にまで増え、承認点数は約1,500点となりました。  協議会設立以降も食用塩の表示ルールの協議は継続的に行われており、2014年3月には岩塩の新たな表示基準を加えるなどの規約の改定が行われました。

具体的な塩の小売商品の表示に関しては、「食用塩公正取引協議会」のホームページよをご参照ください。「食用塩公正取引規約」や塩の製造方法の工程用語などの解説が詳しく記載されています。

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